災害支援
DISASTER SUPPORT
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予期せぬ大規模自然災害によって、被害に遭われた被災者の皆さまに対し、現地の方々との連携を図りながら、物資などの緊急支援を行ない、必要とされている継続的な支援を行なっています。
ミャンマーサイクロン災害
吹き飛ばされた竹と椰子の葉の住居。建設した学校が避難所に・・・
2008年5月2日。ベンガル湾で発生したサイクロン「ナルギス」がミャンマー連邦民主共和国エヤワディ地域のデルタ地帯に上陸しました。最大風速約60mの風が、竹と椰子の葉で出来た住居を襲い、5mを超える津波がすべてを押し流し、同地域の90%以上の家屋が破壊されました。死者・行方不明者の数だけでも13万人以上にものぼり、生き残った人々は住む家も、水や食料も無い状況に追い込まれてしまいました。
流されてきたガレキによって道路が寸断される中、「食料・衣類・毛布・医薬品」などの緊急支援を開始。被害にあってからACS職員が来るまで、なんの支援も受けられず何とか生きながらえている状況でした。
ACSが建設したレンガ造りの学校校舎21校(被災当時)は、一部被害はありましたが躯体自体には大きな影響が無く、地域で最も丈夫な建物として被災した方々の避難所や物資保管場所に使われました。同じく、ACSが建設した地下水を汲み上げる300基の井戸からは、被災前と変わらない水が汲みあげられ、5千平方メートルの広大な土地が泥水に浸かり、感染症が蔓延するなか、安全な水が出る井戸として、飲み水を求める人々が列をつくりました。
被災から4ヵ月、自宅を修理するなど復興に向けた動きがはじまりましたが、破壊された学校校舎の再建は見通しがたたず、心に大きな傷を受けた子どもたちにとって、早期の学校再建・授業再開が非常に重要であると考え、仮設校舎建設支援の取り組みも行ないました。

東日本大震災
何事にも負けない強い心、支え合う心を学ぶ
2011年3月11日。三陸沖を震源とする日本の観測史上最大のマグニチュード9.0最大震度7(宮城県栗原市)が東北地方を襲いました。激しい揺れは約2分間続き、その後に発生した大津波、火事によって、死者・行方不明者1万8千人以上(2018.3.6警察庁発表)、全壊建物約12万戸(○○○発表)など未曾有の大災害となりました。 3月15日、2千万円の緊急支援を決定。岩手県、宮城県、福島県の現地調査に入りました。宮城県石巻市において、全国から届く支援物資の集積・仕分け・配送を管理するための大型倉庫を確保。様々な団体の皆さまと円滑な支援活動ができるような体制を整えました。 被災直後には、避難所での生活を支える食糧、生活用品など、行政からの支援だけでは不十分な地域で行ない、壊滅的な被害を受けた石巻市荻浜地区の漁師まちで、震災前の日常生活を取り戻すための支援として、船舶や車両などの寄贈を行ないました。 同地域は、昭和三陸大津波においても大きな被害を受けた地域で、津波に対する教訓を刻んだ碑が建てられ、日頃から教訓を目にして口ずさむ事で、大きな被害を免れたとも言われています。しかし、今回の津波によって倒壊し、気を落とす皆さんの声を聞き、修復支援にも取り組みました。 完成までに3年を要したDVDアルバム製作「思い出プロジェクト」では、津波で写真を失った多くの人のかけがえのない記憶や思い出を取り戻す事業として、高い評価を受けました。 支援先の皆さまから、何事にも負けない強い心や支え合う心を学び、常に共に在りたいと願い、現在は「心の支援」に取り組んでいます。

ネパール大地震
日本からの支援を生涯忘れない。新しい故郷をつくる。
2015年4月25日。ネパールの首都カトマンズから北西約77kmを震源とするマグニチュード7.8の地震が発生しました。翌月の5月12日には、最大規模となるM7.3の余震が発生。相次ぐ地震による被害は甚大で、8,800名余りの方が犠牲とない、87万戸以上(一部倒壊含む)の家屋が倒壊しました。
レンガ造りの建物が密集していたカトマンズ市内では、相次ぐ余震を恐れ、軍の訓練場として使われていたトゥンディケール広場に数万人以上の人々がテントを張り避難生活をはじめました。
同国において、女性の自立を支えるために建設した自立支援センターの在るパタリケット村では、1,100世帯のうち993戸の家屋が被害を受け、同センターが避難所として利用されました。
完全に倒壊していない建物も躯体に亀裂が入り、いつ崩れるか分からない状態のため、ほとんどの人が家のそばに簡易のテントを建てて避難生活を余儀なくされていました。
蓄えていた食料、寝具や洋服までも瓦礫に埋もれて取り出せず、着の身着のままで避難していた村人へ、米、毛布、防水シートの緊急物資支援を行ない、懸念される衛生環境の悪化を考慮した、衛生キット(タオル、石鹸、蚊帳)などの支援も行いました。
地震発生から1年、公共施設、歴史的建造物以外の民間の建物のガレキについては、所有者自らが撤去しなくてはならず、首都カトマンズから10kmほど離れた旧王宮のあったキルティプル市パンガ村では、ほとんどのガレキが手付かずの状態。「自分たちの土地に安心して暮らすことが、復興への第一歩だと考えています。力を貸してください」との声を聞き、ガレキ撤去の支援を実施しました。
「日本からの支援をわたしたちは生涯忘れません。助けてくれたことを心から感謝しています。そしてわたしたちはこれからの新しい故郷をつくります」
地震の前に戻すのではなく、それ以上にしてみせるという強い決意をいただきました。

熊本地震
やっと足を伸ばして眠ることができる。
2016年4月14日。熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード6.5最大震度7の地震が発生。その後、震度6以上の余震が相次ぐ中、2日後の午前1時には、後の発表で本震とされるマグニチュード7.3最大震度7の地震が熊本県阿蘇地方から大分県西部にかけた地域を襲いました。甚大な被害を受けた熊本県益城町と南阿蘇村では、建物が倒壊し、道路やライフラインが寸断され、多くの人が避難生活を余儀なくされました。 半壊状態でなんとか持ちこたえている住宅でも、余震で崩れる危険性があり、中に入り家財道具を取り出す事もできず、避難所に入らず自宅の駐車場などで、足を伸ばすことの出来ない車中泊を強いられ、体調を崩される方やエコノミー症候群の症状が出始めている方々が多く、テントセットや寝袋、毛布など、食料や生活用品だけでなく、居住に関わる支援を積極的に行いました。これらの支援では「やっと足を伸ばして眠ることができる」「これで楽に眠れる」と喜ばれました。
